厳密に2つ以上の物事を両立させるなんて不可能だと思っている話

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最近、TwitterのテレビCMがよく流れている。見たことがある人も多いと思う。

働き方改革に関して様々な意見がTwitterで交わされていますよっていうことがメッセージとして伝えられていて、女性が仕事と子育ての両立がキツイなんてことをTweetしている。

学生時代であれば勉強と部活の両立、大人になれば仕事と子育ての両立あるいは仕事と介護の両立といったように日本人はとかく「両立大好き民族か」と思う。

ハッキリ言って、こういう2つ以上の物事を両立させるのが立派でそうするべきという考え方が私は嫌いだしそもそも不可能だと思っている。その理由を以下で書いていきたい。

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全く同じ分だけ労力を注ぐなんてまず無理

先ほど例に挙げたような「仕事と子育ての両立」とか「仕事と介護の両立」という言葉には、どちらも手を抜かずに全力を注ぐという意味が込められている。

そんなものは不可能だと思う。どちらも同じ分だけ全力を注いで結果を出すとかやろうとしてもムダに疲れるだけだ。

私自身、高校時代は野球部で活動していてはたから見れば「勉学と部活の両立を目指す高校生」として見られていたことだろう。

そして当時の私もその両立を目指して毎日頑張っていた。

しかし、その結果として第一志望の大学には落ちてしまい野球では甲子園に行けないどころかスタメンに選ばれることすらできなかった。

つまり両立に失敗したのである。

言い訳がましいようだが、勉強にしても部活にしても全く手を抜いた覚えはない。しかし結果は両方とも結果が出ず両立に失敗したわけだ。

2つ以上の物事を両立させようとしても、どっちつかずになるかどちらか一方に労力が偏るかのどちらかである。

両立するのが素晴らしい、当たり前という考え自体が害悪

そもそも2つ以上の物事を両立させるのが素晴らしい、あるいは当たり前という考え自体が害悪だと思う。

なぜ両立させないといけないのだろうか。別にどちらかに労力が偏ってもいいのではないか?

大体、先ほど例に挙げたような「仕事と子育て」とか「仕事と介護」なんてものは両立できるほど緩いものなのか?って話である。

本来両立できないものを無理やり両立できるかのような幻想を持っているだけではないか?そしてそういったできもしないことをさもできるかのように思いこまされて、日々消耗しているだけではないのか?

私の例でいえば両立できたといえるためには、野球部でレギュラーを取って甲子園出場を果たし、それでいて大学受験で第一志望の大学に合格していないといけないわけである。

それってそもそも両立できるの?って話である。

最近知ったのだが、例えば進学校の野球部なんかは2年生の夏で引退させて3年生は大学受験にひたすら力を入れさせるそうである。

これを見ると3年生の夏までがっつり部活させてそこからの大学受験よりも、早めに部活を引退させて受験勉強に力を注がせたほうが良い結果が出ると学校側が考えているということだろう。

つまり、実質「受験と部活は両立できない」と考えているわけである。

まあ、相当頑張ったり私よりも能力の高い人ならば両立は可能なのだろう。だが、一部の人ができることを大多数の人もできると思いこまされていてそれを目指さないといけないという考えは害悪でしかない。

「別に両立できなくてもいいではないか」と考えたほうがストレスなく生活できるのでは?

Twitterの話から物事の両立の話まで広げてきたわけだが、早い話が2つ以上の物事をやらなくてはならなくなった時に「一応頑張るけど別に両立できなくてもいいや」って考えたほうがストレスなく生活できるのではないかということだ。

さっきも書いたように一部の能力の高いスーパーマンなら余裕でできるかもしれない。しかしみんながスーパーマンになる必要はないではないか。

大体、2つ以上の物事を両立できたからなんだというのだ?あなたが両立に必死こいて頑張ったところで周囲の人から少し褒められることが一回あるかないか程度のことだ。

学生時代ならともかく大人になれば、みんな大なり小なりやることや考えないといけないことが山積みなのが普通だ。あなたが2つ以上の物事を両立できているかどうかなんて誰も考えていない。

しょせん自己満足である。自己満足のために消耗するくらいなら最初から両立なんて目指さないほうがいいと思う。なんでも完璧にこなして結果を出すのは一部のスーパーマンに任せておけばいい。