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負けてすみませんという言葉に見る現代のスポーツに対する違和感がすごい

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毎日毎日、これでもかというくらいリオデジャネイロ五輪で日本人選手がメダルを取っていることがニュースになっている。

そんな中、女子レスリングの吉田沙保里選手が惜しくも53キロ級決勝に敗退して「負けてすみません」と謝っている姿がテレビで流れていた。

私はそれを見て強烈な違和感を持ったのである。

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何に対して謝っているのか

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一番の違和感の理由はこれだ。

内容としては「オリンピック日本選手団のキャプテンだったのに金メダルを取れなくてすみません」なのだろう。

それを聞いて私は「別にキャプテンだからって金メダルを取らないといけないわけじゃないしキャプテンどころか、選手全員が金メダルどころか銀メダルも銅メダルも一つも取れないまま母国に帰る選手団だっているだろ。メダルを取って当たり前ってなんだよ。」と思ったのだ。

つまり「金メダルを取れなくてすみません」の言葉にはオリンピックには出場できるだけで十分すごいという考えが全くない。

オリンピックに出場して金メダルどころか銀メダルも銅メダルもそうそう簡単に取れるものではないのである。

日本人選手が金メダルを取りましたなんてニュースがバンバン入ってくるから感覚が鈍ってしまいがちだが、金メダルを取るということはその種目において世界一になったということである。

世界一になることが当たり前だなんてそんなはずはないのである。

これがいつぞやの水泳選手みたく「めっちゃくやしい~」と言っていたらまだ印象は変わっていた。単純に悔しいことが伝わってくるからだ。

悔しさのあまり取材陣にタックルでもかまして八つ当たりしたらよかったのにとテレビを見て思った。まあやらないだろうけど。

オリンピックはもはやメダルの数を競う国家間の戦争になっている

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もっともこういった日本はオリンピックに出られて当たり前、金メダルをバンバン取れて当たり前という空気を作り出しているのはほかでもないマスコミである。

連日新聞やテレビをはじめ金メダルの数がいくつだのメダルの総数はいくつになりましただの、平和の祭典と言っておきながら他国とメダルの数で競い合ってるじゃないかとツッコミを入れたくなる現状だ。

私は正直、オリンピックをリアルタイムで見るほど熱を持ってみないのだがその理由として選手たちが国を背負っている悲壮感を持っているのがバンバン伝わってきてかわいそうに思えてくるからだ。

これでよくもまあ平和の祭典とか言ってんなとか思ってしまう。

最近のスポーツを過剰に持ち上げる風潮何なの?

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そもそもほとんどのスポーツはここ100、200年程度の歴史しかない。

産業革命が起きて、なんでも人力でやらないといけなかった仕事が機械に任せられるようになって暇になったので多くのスポーツが生まれたという歴史がある。

つまり仕事を機会に任せられるようになって暇になったから、スポーツが生まれたのである。

つまりスポーツの原点は極論を言えば暇つぶしなのである。

もっといえば遊びから始まっているのに、それがいつの間にか人生のあらゆる面を犠牲にして取り組むべき事柄になっていき、オリンピックに出場するだけでもすごいのにメダルを取ってきて当たり前の重圧に選手が苦しんでいる現状があることに対してすごい矛盾を感じる。

昨今ではスポーツをやたら過剰に持ち上げて、スポーツは素晴らしい的な考えが広まっているが今回の五輪のようにメダルを取って称賛を浴びる選手の裏にはそれこそ数えきれないくらい多くの選手が負けているのである。

才能に恵まれていて努力も当然のように積み重ねていても、ほんのわずかな差で日の目を見ない選手がどれだけいることか、オリンピックや甲子園を見ている人は少しは考えるべきじゃないだろうか。

ましてどれだけすごい選手であっても国であっても、メダルを取ってきて当たり前ということはありえない。スポーツには予想外の展開がつきものだからだ。

なので今回の吉田選手は別にカメラの前で謝る必要は全くなかったし、そういう風に結果として重圧をかけてしまった周囲の責任がむしろ重いと考えている。

スポーツの世界ではどうしても努力を積み重ねてのし上がっていくイメージがあるが、才能があっていくら努力しても日の目を見ない選手が多く存在することに関しては為末大さんの諦める力を読むとよくわかる。努力だけで人間何にでもなれると思っている努力教の人たちは一度読んでみてはいかがだろうか。