自分の努力だけで成功できると考えることは生存者バイアスである

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gazou_0423

社会の底辺から階層を上ると、努力しない底辺が許せなくなるという記事を読んだ。

内容としては底辺だと思っていた環境から努力の末、成功できた人がまだ自分が「底辺」だと思っている環境で生きている人に対して努力して成功しようとしない人間だと軽蔑することは生存者バイアスで間違っているという内容だった。

途中に出てくるエピソードが壮絶すぎてこれ日本の話か?と思えてしまうものだったが、努力して成功した者が陥りやすい生存者バイアスについてかなりわかりやすく書かれていた。

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生存者バイアスとは?

生存者バイアスとは、簡単に言えば生き残ったものの基準で誤った判断をしてしまうことである。

以下引用。

ある特定の出来事や手段などを評価する際に、経過と共に発生する少なくない脱落・淘汰などをした存在を考慮することなく、最終的に生き残った一部のみをもって判断してしまうことをす。

例えば、特別厳しい教育方法に対してそれをくぐり抜けた一部の成功者の非常に強い支持のみをもってその教育方法の正しさをする場面などが挙げられ、この場合あまりの厳しさに脱落していった大多数の層が視されていることになる。脱落者は文字通り脱落済みであるため死人に口なしとしてを行う事がいということである。

その他には特に一昔前の文化流行などへの印にも現れることがあり、時を越えて現代にまで「生き残っている」数々の著名な作品などの影には、大勢の記憶には残ることがわなかった大量の作品が存在していることが考慮されずに「あの頃は素らしかった」などと極端に判断がされてしまう場合がある。

この様な誤った判断をしないために、情報分析などを行う際には常にバイアスの存在を意識し、立つ成功例以外に対して広くを向けていく必要があると言える。

出典:ニコニコ大百科より

具体例を挙げるなら過労死ラインを余裕でオーバーするような残業をさせる超ブラック企業で何年も働けていて、なおかつ社会人としてのスキルも積み上げることができているからと言ってその労働環境が正しいとは言い切れないということだ。

一人の成功者の陰で何人もの脱落者が発生していることを全く無視しているからである。

しかし、そういった努力の末成功を収めましたという人はどうしても脱落した人やいつまでも底辺(と思っている)の環境にいる人間をただの努力不足と簡単に切り捨ててしまう。

しかも途中で脱落した人は反論する余地がない。まさに死人に口なし。反論する人がいないのであたかもその意見が正しく受け取られる。

実は努力だけで成功できたのではなく、運であったり周囲の協力であったりといった努力以外の要素も合わさって成功したにもかかわらずあたかも自分の努力だけで這い上がったと思い、努力しない人間、這い上がろうとしない人間をバッサリと切り捨てることに対する警告をこのブログ記事は訴えている。

自分の力だけで成功したと考えるのはただの傲慢

gazou_0343

現代はとかく努力が過剰に評価されている。

その陰で決して少なくない、努力しても報われなかった人々がいるにも関わらずだ。

個人の努力はもちろん必要であるが、その時の運であったり周囲の協力や支援してもらえる環境も無視できない。

大学受験を例に挙げれば、本人が努力するのは当然だが有名進学塾に通えたり、通信教材を活用できる環境であるかそうでないかでは明らかに志望校に合格できる確率に差が出るのは当然だろう。

もっとも本人がいくら努力しても生まれ育った家庭に大学進学できるだけの資力がなければ、いくら本人が頑張ったところで志望校に合格どころか、受験すらできない。

つまり、自分の力や努力だけで成功したと考えるのは大間違いなのである。

謙虚さはやっぱり必要だ

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このブログ記事を読んで思ったのが心の中では自分が努力したから成功したと考えていても、実は努力以外の要因も重なって成功したのだと考える謙虚さも必要だということだ。

それがなければ、生存者バイアスに簡単に陥るし支援してくれた周囲の人々を敵に回し遅かれ早かれ足を引っ張られることだろうし、何より傲慢そのものである。

私もついついどんな環境にいても自分の努力だけでたいていのことはできると思ってしまうので、今の自分があるのは自分の力だけでは決してないことを常々意識しようと思う。

そんなことを感じさせてくれる良記事であった。