過去の話ばかりされることが不快なのはなぜなのか考えてみた

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上司や先輩などから昔はこうだった、ああだったという話を聞かされることは誰しもが経験することである。

その昔話の中には確かに聞いておくことで、仕事においての判断基準になったり先人に対する感謝の念がわいてきたりするものも少なくない。

ただ昔話ばかりをしすぎる人、口を開けばすぐ昔はああだったこうだったという話をする人が私は嫌いである。

聞いていてどんどん不快になり、自然と腹が立ってくるのだ。

先日も、父親と話していてなんの話の流れか私が生まれ育った街においてああだこうだと昔話を始めたのでかなり不快に感じた。

○○銀行は今の場所じゃなくて昔はどこそこにあっただの、とっくの昔に引退している私の知らない町議会議員の話やら、

本来、上司や先輩ひいては年長者から昔の話を聞くことはためになることが多いはずなのに私は父親の昔話に対して不快感しか感じなかったのだ。

これはいったいなぜなのか、よく考えてみたら3つの理由を見つけたのでこれをシェアしたい。

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自分の生まれる前の話ばかりする

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まず、腹が立った理由として浮かんだのはこれである。

私は今年で30歳を迎える。つまりこの世に生まれて30年たつのである。

30年というと結構な歳月である。

にもかかわらず父親は私が生まれる前の話ばかりしていたのだ。

単純に考えれば30年以上前の話をどや顔で聞かされていたわけである。

生まれる前の話なんて歴史の授業でも受けない限り100%知りようがないのである。

そういった生まれる前の話を持ち出して、お前はこの話を知らないだろう俺は知っているぞと自慢していることが鼻につくのだ。

話を聞いていていったいいつの話をしているのかということが多々あったので私は非常に腹が立ったのだ。

何の役にも立たない

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二つ目にはこれである。

聞いていてだから何?それをいまさら知ったところでどうすりゃええの?という話が多かったのだ。

先ほど例に挙げた話でも地元にある銀行が昔どこにあったかなんて今さら知って何になるのかって話である。

ついでに言うとその銀行は私が物心ついたときにはすでに、今の場所にあったので父は少なくとも30年程度前の話をさも最近の出来事かのように話していたことになる。

30年くらい前は地元の銀行が違うところにありましたなんて話を聞いて「うん、だから何?」となるのは当然の話だし生まれる前の話なので知らないのも当然。

そりゃ聞いてて腹立つわって話だ。

普段から昔の話ばっかりしている

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最後はこれである。

過去の話をしている人で聞いていて不快になる人とならない人は何が違うのか考えてみたときに単純に過去の話をする頻度の多い少ないの違いだと気づいた。

以前私のいとこが親の昔話に付き合っているときに思わず「お母さんって昔の話ばっかりするね」と言っていとこの母親をはっとさせたという話を聞いたことがある。

つまり過去の話ばっかりする人は、今現在これといって変化も成長もない日常を過ごしているので、過去の話しか話すネタがないのである。

最近あったことをメインに話をしていて、たまに過去の話をする人だとそれほど腹は立たない。むしろ何かしら聞いていて役に立つことがあるのかなとすら思う。

ところが普段から過去の話ばっかりする人は現在人として変化も成長もない生活を送っていることから目をそらすために、昔はよかっただのがんばっていただのそういった昔話にかこつけた「自慢話」をしてくるから聞いていて腹が立つのだ。

まあ、これは私自身変化も成長もない生活を送っていると陥る可能性が大いにあるので気を付けないといけない。

まとめ

昔話や過去の話を話す人で腹が立つ人とそうでない人に分かれる分岐点は

・自分が生まれる前ばっかりになっているかそうでないか

・聞いていて少しは役に立つ話か、そうでないか

・今現在も変化や成長のある生活を送っているか、そうでないか

である。

そしてこれら3つの分岐点すべてにおいて「そうではない」になると、ただただ聞いていて不快なだけの昔話になってしまうのだ。

おじさんおばさんに限らず、気が付くと周囲に過去の話や昔話ばっかりしてしまう人は知らないうちに周囲を不快にしていないか考えてみてほしい。

過去の話や昔話を聞かされる側がなぜか機嫌が悪くなっていれば、先ほど上げた3つの分岐点すべてで「そうではない」になっているのだ。