今こそ知っておくべきケチと節約の違いを考えてみた

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舛添東京都知事が政治資金という名のもとに、あれやこれや公私混同したお金の使い方をしていたことが連日取り上げられている。

どう考えてもただの家族旅行の出費や、政治と何の関係もない書籍を買いあさったり、ヤフオクの代金すら政治資金という名の税金で支払っていたのだから批判されるのは当然である。

それに対して「ケチ」などという言葉が批判として出てくるのだが、同じように自分のお金をできるだけ使わないようにする言葉として「節約」という言葉もある。

実際、連日都知事が私的なことに関して自分のお金を使わないでいることには「ケチ」などと批判される一方で、日々の生活の節約術なんていうのが当たり前のように同じ番組で流れていてそれに対しては好意的な目で見られるのだ。

どちらも自分のお金はできるだけ使わないようにすることなのに、批判される側と称賛される側に分かれるのだろう。

「ケチ」と「節約」の違いってなんなのだろうか。

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「ケチ」と「節約」の違いってなんだ?

「ケチ」にしろ「節約家」にしろ自分のお金を使わないようにするという意味なのになぜこうも差が出るのか。

両方の言葉の意味を調べてみた。

まず「ケチ」は「むやみに金品を惜しむこと。また、そういう人や、そのさま。(goo国語辞書より)」であった。

一方「節約」は「むだ遣いをやめて切りつめること。(goo国語辞典より)」とあった。

言葉の意味を調べる限りではほとんど一緒ではないかと私は思ったのだがどうだろうか。

行き過ぎた節約がケチなのか?

「ケチ」にしろ「節約」にしろ、どちらもお金を切り詰めるという意味では同じである。

しかし現実問題として「ケチ」は批判されるのに「節約」は好意的に見られるのだ。この差ってなんなのだろうか。言葉の意味を調べてみてもすっきりしない。

そこで私なりに「ケチ」と「節約」の違いについて考えてみた。

その結果、2つの仮説を思いついた。

一つは行き過ぎた「節約」が「ケチ」になるのではないかということ。

もう一つは自分のお金は節約するのに、他人からはお金をより多く取ろうとしたりあるいは湯水のごとく他人のお金を使うことを「ケチ」というのではないかということだ。

程よい節約は美徳、行き過ぎた節約は悪徳

節約も程よいものであれば何ら悪いことではないし、むしろ美徳で賞賛されることなのだがそれが行き過ぎるとすぐさま悪徳となる。

節約における美徳と悪徳の境界線だが、私は人が不快に思うかどうかが分かれ目になっていると考えている。

例えばスマホ代を節約するために格安スマホにするとか、あるいはコンビニでの買い物を辞めてスーパーで買い物するようにするとかその程度だったら人が不快に思うことはないだろう。

しかし、たとえば交通費を節約するために数時間も歩いたり、外でご飯を食べたときに一円単位で割り勘計算するくらいになると人からしてみたら不快に思うはずである。

人がその行為を見て不快に思うかどうか、それが節約とケチの一つ目の違いだと考えている。

他人のお金もお金に変わりありませんよ?

もう一つの仮説であるがこれはまさに都知事のことである。

報道によれば政党党首時代に党員同士で集まって飲み食いして交流することもなく、とにかく自腹を切らないことで有名だったそうである。

にも拘らず、政治資金という名のもとに税金を湯水のごとく使っていたことが明るみになって多くの人を不快にしている。

個人の趣味の本であったり美術品であったり、それくらい自分が稼いだ金で買えよと言いたくなるようなものですら税金で購入させて自分のお金を節約していたわけだ。

自分のお金は徹底的にケチるくせに、税金という他人のお金は湯水のごとく使う。

これはお世辞にも「節約」として称賛されるものではないことは明らかだろう。

まとめ

ここまで節約とケチの違いについて書いてきた。

ここまで書いてきて、自分のお金も他人のお金も同じように大切に扱うのが節約でそうじゃなくて自分のお金は節約するのに他人のお金は節約することを考えないのがケチだということに気づいた。

自分は節約しているつもりなのに批判されるような人(そういう人がいるかどうかは分からないが)は一度他人のお金に対する態度や考え方を点検してみてはどうだろうか。

自分のお金も他人のお金も同じお金である以上、どちらも大切に扱わなければいけないという当たり前のことを再認識した方がいいだろう。