何につけても一貫性を求めることでかえって生きにくい世の中になっている。

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日本に住んでいると何かにつけて一貫性を求められることが多いですね。

とくに転職活動時にそれを痛感しました。

転職エージェントも面接官も、私の職歴に対して「一貫性がない」と言い転職エージェントに至っては「なんとか一貫性を持って仕事してきたようにそれぞれの仕事を選んだ理由を考えよう」と言われる始末。

仕事を変えることが転職であって、単に会社を変えるのは転職ではないのに転職歴に一貫性を求めてくるこの矛盾に、転職活動をしていた時は大変苦しめられました。

転職だけでなく、日本では小さいころから一つのスポーツに打ち込んでいる人や小さなころからの夢をずっと追いかけている人など「一貫した生き方」を異常なほど持ち上げます。

そして仕事ややることをころころ変える人は「飽き性」だとか言われて非難されるのです。

しかし、人間生きていく上で考えることや行動などが変化せずに一貫性があるとすればそれは「人間として何も変わっていないし成長していない」ということではないでしょうか。

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時間が経てば様々なものが変化するのが当たり前

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人間は本来、時間が経てば見た目であったり行動であったり考えることが変化するのは至極当たり前の話のはずです。

にも拘らず、日本では「一貫した職歴」「一貫した考え」「一貫した行動」「若いときの見た目のまま年を重ねている」など時間が経っても変化しないことがやたら好まれます。

そして考えや行動パターンが変化すれば「飽き性」と非難され、ちょっと年齢を重ねて見た目が変化すれば「劣化したwww」などと言われるのです(余談ですがネット上で有名人に見た目が劣化したと平気で言える神経が信じられません。)

しかし、そんなに一貫性があることや変わらないことが大事なのでしょうか?

そりゃ中には小さいころから、あるいは長年にわたって一つの事に打ち込んでいる人はいます。そのこと自体は大変尊敬します。

しかし、だからといって行動や考え方、あるいは見た目が変化することはそんなに悪いことなのでしょうか。

むしろ、変化するのが当たり前で自然の摂理ではないですか?

見た目はともかく、考え方や行動が何も変わらないということは逆に言えば何も成長していないとも言えるのです。

先ほど例に挙げた小さなころからスポーツに打ち込んでいたり、一つの事に打ち込んでいたりする人ははたから見れば同じことを繰り返しているように見えるでしょうが、実は細かく変化し成長しているのです。

本当に変化し成長していないのであれば、次のステージに移ることはまずできないでしょうしスポーツの世界だったらとっくに姿を消しているはずです。

日本においてはいつまでたっても考え方や行動、やることや見た目が変化しないことが良しとされますがそれは自然の摂理に反しているし、そもそも成長していないってことなんですよ。

まとめ

まとめると

・日本人はやたら考え方や行動、見た目が変化しないで一貫していることを過剰に持ち上げがちである。

・しかしそれは自然の摂理に反している上に、本当に変化しないのであれば人間として何も成長していないということだ。

・考え方や行動、見た目が変化することを過剰に恐れたり非難する風潮が生きにくい世の中を作っているのではないか。

・変化していくことを当たり前の事として受け入れるようになればもっといきやすくなるのではないか。

といったところですね。

自分や他人の変化にもっと寛容な世の中になればいいのにとつくづく思います。